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最高裁判決の間違い

最高裁判所の 受信契約締結承諾等請求事件 平成26(オ)1130の判決の誤りについて指摘します。

この判決も肝心な部分は間違っていますが、高等裁判所以下の判決に比べ格段に進歩しており、 私がいつも問題視している「受信機」,「テレビ」という用語を受信規約の引用以外では使用しておりません。

これが何を意味しているかというと、「受信機」=「テレビ」≠「受信設備」という意味がようやく理解された可能性が高いということで、 この先、本当に正しい判断がなされる兆しが見えてきたということです。

しかし、残念なことは、この点をマスメディアがまだ理解しておらず、相変わらず「受信機」や「テレビ」 という間違った用語を使っていることと、最高裁判所も他の用語を間違って使用している事実です。

この用語の間違いが最終的には致命的な間違いに繋がっています。


三審制という制度は、裁判にも誤りがあることが前提のものですから、最高裁判所も例外ではなかったということです。

最高裁判所の判決ですから、当事者には絶対の判定ですが、 この間違いを指摘し異なる主張をするのであれば、この判決は他人には即有効とはならず審議が必要となります。

この後、その主張が難しくなったと考えるより、最高裁判所の考えの誤りが明確になったおかげで、やり易くなったと考えるべきです。

用語の間違い

まだ多数「放送の視聴」という有り得ない用語が出てきます。

この用語が使われている以上、正しい判断はされていない証拠となります。

放送法     第二条一 「放送」とは、公衆によつて直接受信 されることを目的とする電気通信の送信をいう。

         二十八 「放送番組」とは、放送をする事項の種類、内容、分量及び配列をいう。

ご覧の通り「放送」と「放送番組」は明確に区別された異なるものであり、視聴できるのは「放送番組」です。

少なくとも放送番組は視聴できるものだということは誰も異論がないはずです。

放送は公衆(人)が受信するものですから、放送も放送番組も人に受け入れられるという意味では同じであるため、 通信の技術的仕組みを知らない方には区別が付きにくいと思いますが、放送は受信するもの, 放送番組は視聴するものという違いがありそうだということは分かると思います。

この裁判官はこれらを区別しようとしている点が大きな進歩と言えます。

  判決    19頁7行  放送法64条1項は,原告の放送の視聴を強制しているわけではないとはいえ, 受信することができる地位にあることをもって経済的負担を及ぼすことになる

「放送」に対して「視聴」と「受信」の両方がかかっていますので間違いではありますが、「視聴」と「受信」 については異なる意味だというところまでは分かっているようです。

今までの裁判官なら確実に「原告の放送の視聴を強制しているわけではないとはいえ, 視聴することができる地位」と言うでしょう。


このように、最も重要である用語の解釈が間違っており判決に影響しています。

すべての判断基準と言える「放送」を「放送番組」と混同している、というより「放送番組」 の意味で考えていることは明白なため、最終的に誤った判断がなされています。

やはり分かっていない「設備の設置」の意味

  判決    20頁7行  放送受信規約第2条第1項は,「放送受信契約は,世帯ごとに行うものとする。」 と定めて,原則として世帯を単位として契約を締結することとしているが,これは, 放送法64条1項の規定から直ちに導かれるとはいい難い。さらに,放送受信規約は, 受信契約を世帯ごととしつつも,受信契約を締結する義務が世帯のうちいずれの者に あるかについて規定を置いていない。任意に受信契約が締結される場合は別であるが, 受信契約の締結が強制される場合には,締結義務を負う者を明文で特定していないことには問題があろう。

ところがこれは受信規約には全く問題がありません。

放送法64条1項の規定から直ちに導かれるとはいい難いどころか明記されているので受信規約はそれに従っているだけなのです。

放送法     第六四条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、 協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。

設備を設置した者とは、その設備を継続的に支配・管理する者、すなわち管理(責任)者のことです。

これは電気通信設備においては 総務省が昔から公表しているものですし、多くの(全てかも)法律で同様(設備を設置=人の管理下に置く)の解釈がなされています。


管理者とは受信者や視聴者ではありません。受信者や視聴者が兼任しても構わないのですが役割としては異なります。

放送法64条1項では、下図の黄色の部分が定義されています。

    

この図の右半分が世帯であり、管理者には設備を支配することまで求められているのですから、設備に対し管理者は1名です。

また、管理には維持が含まれるので、世帯においては住居への設備設置許可を出せるか得られる必要があるし、 廃棄などの最終決定権を持ち、放送受信運用に必要な家賃,電気代,修理代等の費用が捻出できる者であり、更に、たとえば受信機の騒音等で 近隣に迷惑をかけた場合に謝りに行く適任者(責任者)でもあります。

さらに、管理者は設備に関わる運用そのものを管理する者ですから受信者をも管理すべき立場です。

世帯の家族構成を考えれば誰が受信者で誰が管理者かと考えれば誰でも答えは出るはずです。

このように世帯においては誰が締結義務を負う者(管理者)かは常識で判断できるものであり、 受信契約を締結する義務が世帯のうちいずれの者にあるのかは 放送法に明記されているに等しいのです。

更に、この裁判官が契約単位としての「世帯ごと」を否定しているなら完全に勘違いです。

世帯ごとを否定するなら人毎になってしまいますが、1つの受信設備に複数の管理者(契約者)は有り得ないことから、 受信設備毎の契約と何ら変わらなくなってしまうのですが、このようにしても、この裁判官が問題視している「締結義務を負う者の特定」 とは無関係であることから、受信料の徴収単位を意識したとしか考えにくく、そうであれば、 ホテル等のように課金は受信設備毎にすればいいだけの話であり、契約単位としての世帯を否定する意味がないし、 不要に契約数を増やすということは管理,運用面でも合理性に欠けることになります。

無線電信法まで遡ったのだが惜しいことに調査不足

  判決    10頁22行  これは,旧法下において放送の受信設備を設置した者が社団法人日本放送協会との間で 聴取契約を締結して聴取料を支払っていたこととの連続性を企図したものとうかがわれるところ,前記のとおり, 旧法下において実質的に聴取契約の締結を強制するものであった受信設備設置の許可制度が廃止されることから, 受信設備設置者に対し,原告との受信契約の締結を強制するための規定として放送法64条1項が設けられたものと解される。

ここは間違っているとは言い切れないのですが、おそらく受信料だけしか見えていません。

旧法が受信設備設置の許可制度を敷いていた大きな理由の一つは、戦中のスパイ行為(非合法的手段による情報収集)取り締まりのためです。

ドイツでは国外の放送受信に対しては苛烈な取り締まりが行われ、違反者には死刑も適用された時代です。 日本も同様の危機感を持っていました。

この点に全く踏み込まず、単純に制度変更による聴取料の移行のためだけのように考えているなら不完全です。

また、契約の締結を強制するにしても、これについて罰則規定が無くなったことの意味も加味しなければなりません

言っている意味は間違いではありませんが、単純な制度変更だけの話ではなかったのです。

これは憲法改定に大きく関係しており、それが次項の間違いに続きます。

最大の間違い

  判決    18頁25行  放送法64条1項は,原告の放送を受信しない者ないし受信したくない者に対しても受信契約の締結及び受信料の支払を強制するものと解される

せっかく無線電信法まで遡ったのに、放送法を作った中心人物である松田英一氏,荘宏氏の文献は読んでいないようです。

2名共、強制契約ではないという意味の考えが述べられています。

従来通り、強制契約にしたかったのだが憲法が変わって、そうはできなかったということを匂わせています。

それから、昭和40年までの国会でも「強制契約ではないから何とかしなきゃ」と議論されていたのですが、これも見ていないのでしょう。

関係者ほぼ全員が、受信料は受信の対価 であり、契約は強制でないことを認め「将来問題となる」と発言しています。


さらに

  判決    19頁7行  放送法64条1項は,原告の放送の視聴を強制しているわけではないとはいえ, 受信することができる地位にあることをもって経済的負担を及ぼすことになる

これと正反対のことになっているという事にも気が付いていません。

受信できるか否かは、受信に対応した機器が有るか無いかに加え 受信する意思が有るか無いかによって決まりますから、 受信しない(という意思が事前に確定している、すなわち意志となっている場合に限る)者=受信できない者なのです。

したがって、こちらでは「受信しない者には経済的負担を及ぼすことにならない」と言っていることになってしまいます。 実際はこれが正しいのですがこういう意味では言っていないようです。

お断りしておきますが、受信できるか否かは受信する意思にて決定するとダイレクトに記した法律,文献等は無いと思います。

しかし、送信できるか否かは送信する意思にて決定するということを事実上記した法律,文献等は多数存在します。

特に、不法無線局の取り締まり基準は「送信する意思の有無」です。設備が送信可能だというだけでは決定しません。

受信可能に対しては、処罰条件が無いため明文化されていませんが、送信可能については有るということです。

送信と受信は、対応する同等の機能(正しくは操作)です。送信可否が意思にて決まるなら受信可否も意思にて決まらなければ辻褄が合いません。

被告の敗因

ずばり、「放送法64条1項は、訓示規定でなければ憲法違反だ」と主張したことです。

「しなければならない」と言い切る訓示規定なんてあるのでしょうか?最初から不利な戦いでした。

消費税の対象となる受信料はNHK放送受信の対価である (ただし100%純粋な対価ではないとされている)ことは間違いのないことなのですから、 受信しない者は払わなくて良い=契約しなくても良いという方向で、現実を味方に付けて戦うべきでした。

そして、少なくとも放送法施行直後は受信しない者は払わなくて良いとした記録があることと、 放送法の契約義務発生条件が施行後に変わっていないことを主張するべきでした。

放送は人が受信するもの(放送法第二条一)であり、受信設備では放送が受信できない(受信できるのは放送用の電波とか電気信号です)という事実からも

「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者」とは、
協会の放送を受信する意思のある受信者を受信設備に配備した者」という意味なのです。

この解釈なら、
・憲法に反しない
・放送法第二条の用語の定義に反しない
・消費税が課税される理由に反しない
・総務省の設備設置の説明に反しない
・放送法作成者の説明に反しない
・放送法施行直後の契約実態に反しない
・放送法施行直後の国会の総意に反しない

ということになりますので、これ以外の解釈は有り得ません。

受信設備を機械的に設置しただけで契約義務が発生するとすれば、これらすべてに反します。
今回は間違った前提でさえ「合憲」としましたが、これらすべてを突き付けられたら、さすがにそうは言えなかったでしょう。
(間違いは前提であり「合憲」は正しいので、お間違えの無いように)

最後に

今回の裁判官の素晴らしいところは、契約義務の本質が放送法施行当時から変わっていないことを前提に置いたところです。

これは現実的にも正しい判断で、だから無線電信法から放送法への移行時の経緯を探ったのでしょうが、実はその5~10年後くらいに国会などで、 この件に関することは詳細に述べられています。

議題の中心は解約についてですが、NHK放送を受信しないなら解約可能だと結論付いていましたし、 実際にNHKも解約を受け付けていたため、 昭和40年にNHK会長が国会に「何とか(強制)してくれ」と直訴しているという事実があるのです。

つまりは、放送法施行後しばらくの間は、 強制契約では無かったという証拠が史実として残っているのです。

契約義務の本質が放送法施行当時から変わっていないことに気が付いているのなら、この史実さえ知っていれば、間違った先入観と用語の解釈を跳ね除けて 正しい判断ができたことでしょう。


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