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ワンセグ上告内容の補足

平成28(ネ)4426の判決についての ワンセグ上告の内容がビデオ公開されしばらく経ちました。

このビデオの34:58からの部分は、私が担当弁護士さんに相談を受けてお話した内容なのですが、どうやら立花氏には 正しく理解していただけていないようだという事が気になっておりました。

ビデオ公開されたという事は機密事項ではないし、どうせならもっと正確に皆さんに知ってほしいので補足します。


その前に1点お断りしておきますが、ここで言う「ワンセグ」とは一般的に「ワンセグ携帯(電話)」と呼ばれるもので、 現在争われている裁判が「ワンセグ裁判」と呼ばれていることから「携帯(電話)」の表記は多くの場合に割愛しています。

また、携帯電話(スマホ含む。以下同じ)に内蔵されるテレビ機能は、ワンセグもフルセグも区別はありません。

なぜなら契約の要否はデータ量と関係が無いからです。ワンセグもフルセグも実質的な情報量(ドラマやニュースで内容が伝わる度合い) としては大きく変わらないものですし、そもそも受信料が建前上は情報料やデータ料ではなく 受信する権利の対価であり、一般の有料放送と全く同じですから、データ量の違いは関係ないのです。

契約の要否は法律により決まるもので、その受信目的と受信する情報の種別(ラジオ,テレビ)により決定するためNHKは口を挟めません。

そして受信料金については、NHKと総務大臣が決めることであり、情報の量(地上放送のみ,衛星放送含む)で決定しますが、 昔はテレビのカラー,白黒契約が分けられデータ量で変わっていた時代もあります。

現在ではデータ量で変わることが例外ですから、ワンセグとフルセグで料金を変えなければならない理由はありませんし、契約要否とは全く関係がありません。


ですから、ここでは、ワンセグ=セグメント数を問わず携帯電話に内蔵されるテレビ機能のことなのでご注意ください。

カーナビのテレビや、ポータブルテレビは除外しており、これらは普通のテレビと同様に、 受信するなら契約が必要,しないなら不要と考えられます。

ビデオの前半とは異なる内容になりますが、発案者が違うのでご容赦願います。

要約

●放送法

第六十四条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。
ただし、放送の受信を目的としない受信設備
又はラジオ放送若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備
のみを設置した者については、この限りでない。

本上告理由(ビデオの34:58以降)を要約すると

放送法64条ただし書きの「放送の受信を目的としない受信設備」とは、通信事業者等の設置する通信を目的とした設備のことであるから、 法律上、通信事業者が設置したとされる携帯電話機(通信設備)はこれに該当するため、携帯電話機から切り離すことのできない 携帯電話機内の機能を使用してNHK放送を受信したとしても、放送法64条ただし書きに該当するから契約義務はない。

ということです。

ただし書きの解釈が誤解されている理由

一言で言えば「受信」と「視聴」の区別が付いておらず、放送法64条を正しく読めないからです。

概ね正しい国会での発言については後述しますが、最近?は国会の場ですら、こんな稚拙で致命的な間違いに気が付く者がいないのです。

●平成19年03月22日衆議院総務委員会

ただいま御指摘の、条文の中にあります「放送の受信を目的としない受信設備」と申しますのは、外形的、客観的に その設置目的が番組の視聴ではないと認められるものでございまして、 例えば、電波監視用の受信設備、あるいは受信画質の確認を行うための設備、あるいは、それと同様でございますが、 電器店の店頭に陳列されているものもいわば画質確認を行うもの と考えられますので、そういった受信設備がこれに該当するものでございまして、 個人の意思に係らしめているものではないというふうに解釈しております。

「設置目的が番組の視聴ではない」というのは、NHKや政治家でさえ正しく認識している 「64条が番組の視聴とは根本的に無関係」という前提において、除外理由の説明として有り得ません。

なぜならこれは、受信料が視聴の対価であることが前提でなければ成り立たない 理屈(視聴の対価でなければ除外する理由がない)であり、事実と異なるものですしNHKや政治家が最も嫌う理屈のはずです。
ろくに意味も分からず部分的に文字を見ただけで答えるから、こんな大きな矛盾が生じていることに気が付かないのでしょう。

そもそも、64条中に「視聴」を意味する,関連する言葉は一切出てきません。出てくるのは「視聴」とは全く異なる「受信」という言葉です。 それぞれを行う人である「受信者」と「視聴者」 は、同じ人が掛け持っても構わないのですが、法律的には別々の人として区別され、別々の役割を持っています。

「画質確認を行うもの」というのは、まさに「受信」そのものであって、電器店の店頭に陳列されているものは受信を目的に していると言ってしまっている(正しい)のですから、除外理由の説明としては本当に馬鹿げています。 この説明では対象外にはなりません。(実際にも64条では対象外になっておりません)

電気通信(放送含む)の受信とは、機器を操作し、送信側が送った情報を受取り、その内容を正しく復元できたということを確認することなのです。

画質確認というのは、まさに「内容を正しく復元できたということを確認」になるため、チャンネル操作と合わせて放送の受信以外の何物でもないのです。

正しく復元できた内容は「放送番組」であり、それを視聴(情報の評価,吸収)することとの区別が付いていないためこんな初歩的な間違いを犯し、 最終的に「個人の意思に係らしめているものではない」なんて間違った結論を導くのです。


これら重要な用語の説明はこちら

通信と放送の融合

これが私がメールした内容(一部)です。

先生は「通信と放送の融合」という言葉をご存じでしょうか?これは政府の発した言葉であり、この言葉があるということはこれ以前は、 通信と放送が分離していた証拠となります。
そもそも、放送とは、ある法律では通信の一種であり、ある法律では通信とは異なるものとして定義されている、あるときは通信であり、 あるときは通信ではないという性質を持っています。
そして、肝心の放送法では通信ではないという立場をとっています。
最終的には、これが携帯電話のテレビ機能が契約外の理由となります。

これだけお伝えして出来た内容がビデオの37:12~38:43であり、非常に上手く通信と放送は区別しなければならないということがまとまっています。

ここでは、放送法においては政府が認めている通り、放送と通信は別物として扱われているという認識が持てれば十分なので、あえて深入りはしませんでした。

しかし、折角ですからもう少し踏み込んで説明すると、仕組み寄りの法律では放送は通信の一種であり、運用寄りつまり事業者の業務寄りの法律では 放送と通信は別物として扱っています。

具体的には、仕組み寄りの電波法では放送は通信の一種、業務寄りの放送法では多くの部分(一部例外があります)を放送と通信は別物として扱っているのです。

したがって「通信と放送の融合」とは、もともと融合していた仕組みに関するものではないので、本質的にはインターネットは無関係であり 「通信事業者と放送事業者の協力」のことなのです。

「1対1」や「1対N」も仕組みに関するものなので、あまり大きく関わりませんが、放送事業者と通信事業者の得意分野として、この両者の技術的進歩の 方向が異なるという点は無関係ではありません。

「通信と放送の融合」の本当の意味は、放送法施行当時に「放送事業者と通信事業者,及びそのインフラの完全分離」されていたものを一部結合するという 意味なのです。

完全分離されていた理由は、戦後まで政府管理下で嘘情報を流し続けていた放送を政府から切り離すことを絶対条件としていたためであり、 どうしても政府と繋がりが強い通信事業者を放送の経路中に介在させないことを目的としていたからです。

通信事業者の代表者であった電電公社を政府と切り離す事は困難で、しかも通信事業は有線主体でしたから通信ケーブル等の物理的設置等についてどうしても 政府との繋がりが経ち切れなかったことから放送事業者だけを独立させたと言った方が分かり易いかもしれません。

ですから、その後しばらくは、放送の中継も放送免許を持つ事業者に限られていた訳です。

「たまたま」じゃないんです

ここが最も重要な点なのですが、放送法64条(旧32条)のただし書きに関する国会議事録の読み上げで、立花氏は「たまたま」を強調していることから、 どうやらこの訴えの趣旨を誤解しているようです。

●第34回国会衆議院逓信委員会 荘宏説明員の発言

三十二条の第一項のただし書きでございますが,「但し,放送の受信を目的としない受信設備を設置した者については,この限りでない。」 こういう受信設備とはどういうものかという点につきましては,こういうものでございます。 すなわち,通信用の受信機などというものがございます。たとえば船でもって,ラジオを聞くためでなくて,もっぱら通信のために受信機を持っておる。 しかしその受信機の性能として,目的は通信なのであるけれども,たまたまラジオの部分も入ってくること があるというようなもの,こういうようなものがただし書きに該当するものと解釈いたしております。

  <要約>


そもそも私が、電波法52条を持ち出しているのは、この「たまたま」を打ち消すためなのです。

「携帯電話のワンセグはたまたまではなく意図して放送を受信できるようにしているのだから荘宏説明員の発言には該当しない。」 と反論されるのを見越して先手を打っているという事なのです。

ハッキリと言いますが荘宏説明員の発言は間違いだらけです。

おそらく、ただし書きの対象が当時の船舶無線局を対象としていたという結論(これが電波法52条と放送法64条ただし書きの関係)だけを知っており、 無理に具体的に踏み込んで失敗してしまったとしか思えません。

最も大きな間違いは「受信機の性能(機能)」で説明しようとしたことです。受信契約義務において、受信機の性能(機能)は直接関係しません。

よく考えてください簡単なことです。このような「たまたま受信機の機能として放送が入る通信用受信機」(船舶局の受信機)を自宅に設置し放送受信に利用 していた場合にどうなるのか?

もし、受信機の機能で決まるなら、この場合はただし書きに該当し契約義務が無いことになってしまいますが、 このような事は絶対にありません

結局のところ、荘宏説明員もその前で述べていますが、「ラジオを聞くためでなくて,もっぱら通信のために受信機を持っておる。」 ニュアンスは微妙(電波法52条より「もっぱら」である必要はない)なところがありますが、これがすべてなのです。

「目的」とは人が持つ意図であり機器が持つ機能ではありません。機器は人の利用目的を想定した機能を持っていますが目的自体は持っていません。

例えば包丁。包丁は何かを切る機能を持っていますが、これを料理に使うのか、人を殺めるために使用するのか(目的)は、それを持つ人が決めるものですね。

そして「放送」というもの。これは放送法2条1にて定義されている通り、人(公衆)が受信するもですから、受信機で受信できるものではありません。 受信機で受けれるものは、放送に使用する「電波」であり、「放送」ではないのです。 「電波」,「放送」,「番組」はすべて全く異なるものなのです

したがって、放送は「人」が受信するもの,目的は「人」の意図ですから、受信機等の機器の機能とは直接関係せず、人の意思によって決定するものですから、 「ラジオを聞くためでなくて,もっぱら通信のために受信機を持っておる。」という部分だけで決定するのです。


今回の裁判では争点となっていませんが、これと同様に

「NHKを受信するためでなくて,もっぱら民放受信のために受信機を持っておる」場合は契約義務がありません

これは、 昭和40年までは確実にそうであったという証拠も存在します。そしてその後、放送法の契約要否基準は変わっていないのです。


さらに、受信機の機能として「たまたま」というのは有り得ません。

荘宏説明員が「無線機」という用語を使用せず、「受信機」と表現している理由は、この時代の無線設備は 「送信機」 「受信機」が別物であることが多かったからです。

現在であれば、「送信機」と「受信機」の一体化した「トランシーバー」(無線機)が普通ですが、昔はそうではありませんでした。

そして、すべてアナログの時代ですから、ピンポイントで船舶用周波数等に限定した受信機を作るのは非常に困難であることに加え、これは現在でも同じですが、 わざわざ受信機に余計な機能を加えて受信周波数範囲を制限する理由はないことから、受信機の機能は意図して広範囲の周波数を受信できるようにしており、且つ、 対応する変調方式(AM,FM等)も、いちいち周波数によって制限する必要はないため、船舶局で使用する受信機は、 「たまたま」ではなく「当然の機能」として、 船舶用周波数帯に隣接するNHKのラジオ放送用の電波を受信できたのです

放送法と電波法の関係

立花氏は「新たな主張」と言っておりますが、私にとってこの電波法52条と放送法64条ただし書きの関係の主張は、もう10年くらい前には出来上がっていたものです。

Yahoo知恵袋の知恵ノートというものに書いたのが2014年くらいのことだったのですが、そのとき「放送法と電波法は無関係」のような書き込みをいただき、 自称通信の法律に心得のある私としては、「世の中には、そう考える人もいるのか」と驚いた記憶があります。

結論として電波法は放送法の基本法のようなものであり非常に密接な関係があります。

これは、平成23年の放送法大幅改正より以前のものですが、総務省の資料 「通信・放送法制について」 の2頁(表紙除く)にもハッキリと書かれているものです。


そもそも、放送法と電波法は昭和25年6月1日以前は、無線電信法という一つの法律でした。

勿論、大幅な改定が行われたのですが、もともと一つであったものが、ある日を境に全く無関係で独立したものになるという考えには無理があります。

携帯電話は無線局である。設置者とは管理者のことである。

私達が所有する携帯電話機の所有者は勿論私達なのですが、電波法上の「設置者=管理者」はキャリアと呼ばれる 電気通信事業者となっています。

携帯電話機は、私達の知らないところ?で無線局免許という免許を取得しており、それにより発行される無線局免許状に記載される事実なのです。

これは、携帯電話機から電波法違反となる電波が発射されることや携帯電話機を使用して通信のルールに違反することがないよう 管理する義務が電気通信事業者にあり、こういったことが発生した場合には電気通信事業者が責任を取るという仕組みになって いるからです。

これは、携帯電話(無線設備)の利用者が、無線従事者の免許が無くても携帯電話を利用できるようにするために必要不可欠な仕組みなのです


ちなみに、 これが携帯電話の無線局免許の内容です。

免許人は電気通信事業者になっていますね。

免許人とは、無線局の開設者であり(電波法4条)、無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体(電波法第2条6)を設置し運用についての監督責任のある者 (運用で事故があると責任が問われます)ですから、免許人=設置者=管理(責任)者ということになります。

繰り返しますが、利用者による違法改造が行われていない携帯電話から、違法な電波が発射された場合は、無線局を設置して運用を開始した「免許人」が責任を負うことになります。


このビデオの作成時において、立花氏は「設置者=管理者=責任者」だということがお分かりになっていなかったようですが、 これは放送法64条が関係する裁判では非常に重要なことであり、受信設備を設置した受信契約者になろうとする者は 管理者,責任者としての力量が求められるのであり、単にテレビを置いて利用しているだけの者ではないという点は強く意識すべきです。

とは言っても、受信側に発生する責任なんて、テレビの音声が大き過ぎて近所から苦情が来たときの対応くらいしか考えられません。

また、「管理」には通常「維持」が含まれますから、テレビが安定的に使用できるよう、家賃,電気代,故障時の修理代を工面(受信契約するなら受信料もですね)する責任もあるのです。

当然ながら未成年者は自己の判断では契約できません。(正確には簡単に契約が取消せるので契約として安定しない)

よって、法律上は受信契約者の資格等を限定してはいませんが、けして誰でもいいという訳ではありません。 これらを踏まえれば、家族の中で適任者が存在するということを忘れてはなりません。

ワンセグ機能は一体化している

携帯電話のテレビ機能は、本体と一体化しており切り離すことができません。

これが非常に重要な点になります。

携帯電話というものは上で示した通り電気通信事業者が設置者となっていることからもお分かりだと思いますが、 電気通信事業法の電気通信設備に該当します。

この電気通信設備が設置されているとみなされる条件を 総務省の「電気通信事業法についてのマニュアル」から引用すると、 電気通信を行う主体が継続的に支配・管理すること(「所有」の有無を問いません。) となっており、「支配」が求められるのです。所有の有無を問わないとは、まさに所有者が私達である携帯電話のことなのです。

つまり、携帯電話の電気通信を目的とする部分を支配する必要があるのですから、最低限でも電池や内部の主要回路等は支配する必要があるのです。

したがって、テレビ機能が携帯電話本体から切り離して使用できる状態でなければ、電気通信事業者の管理する無線局の設備から切り離すことは不可能なのです。

さらに、携帯電話はその型番単位で丸ごと電波法の技術基準適合証明(技適)を受けて認可されており、メーカー以外が分解,修理しただけで技適が無効となる代物です。

電気通信事業者の本業務の携帯電話機能としてワンセグが必要ないとしても、その必要のない全ての機能が原因で携帯電話としての送信機能に影響をもたらし 違法な電波を出せば電気通信事業者の責任となる(最終的にはメーカーになるかもしれませんが)のであり、電気通信事業者は「ワンセグ部は知らない」 とは言えず責任を持たなければならないのですから、携帯電話丸ごとの支配・管理から逃れることはできません。

続けてさらに、携帯電話では通信内容が制限されておりませんから、携帯電話の利用者が話し(通信)のネタとしてテレビの情報が必要だと すのなら、テレビ放送受信が無線局業務として必要なことだと言えなくはないでしょう。

携帯電話の利用者は、船舶局で言えば実際の電気通信(機器操作)は行わない船長に当たるはずです。

テレビ局で言えば、プロデューサー,アナウンサー,俳優さんなど、番組(通信内容)を作る人に当たります。

これらの人々は皆局員であり、無線局(人+設備)の一部な訳ですから、携帯電話の利用者が話しのネタにテレビを必要とするならば、 放送受信全般が電波法52条で認められていることもあり、テレビ放送受信は局の業務だと言っても間違いではないはずです。

よって、携帯電話と一体化しているテレビ機能は、無線局から切り離すことはできないため、 放送法64条ただし書きに該当することは疑う余地がありませんし、法律上の設置者はテレビ機能も含んで電気通信事業者ということになるため、 ただし書きに該当しない場合は、電気通信事業者が受信契約を行う必要があるのであって、私達所有者が契約するものではありません。

以上はNHKも認めている

●放送受信規約取扱細則(NHKの内部規則)

第3条   次の各号の1に該当する受信機は、放送法32条第1項ただし書きの「放送の受信を目的としない受信設備」として取り扱い、契約の対象としない。

   (1)無線局の運用の監督のための受信機

   (2)前号のほか、電波法の規定により免許または承認を受けた無線局の運用のための受信機

如何でしょうか。ここまで述べた内容と一致していることがお分かりになると思います。

私が発見できた資料は平成13年のもので少々古く、「放送法32条第1項ただし書き」となっていますが、現在の「64条1項ただし書き」 との差異はなく、現在でもこのただし書きの解釈は変わっておりません。

この細則3条は、NHKが決める権利などなく、上に挙げた「第34回国会衆議院逓信委員会」の内容なのです。

したがって、当然現在も有効な内容であり、細則自体の改定等が行われていたとしても、NHKの勝手な判断で変更してはならない内容であり、NHK自身がこの考えを古くから 把握しており準じていた証なのです。

現在では、不勉強な政治家達がこのただし書きの対象が「家電屋の展示テレビだ」と間違ったことを言い出していますが、NHK自身は家電屋の展示テレビ のことではないことを知っているのです。

それなのに、NHKにとって都合が良いことであれば、不勉強な政治家達が見当外れなことを言い出しても、それを訂正しようとはしないというところに問題があります。

今回の裁判のNHKの言い分としては、政治家達の見当外れな話に乗っかっただけではなく、ワンセグ携帯のテレビ部は「無線局の運用のための受信機」 に含まれないという主張なのでしょうけど、おそらくはこの細則の内容には踏み込みたくなかったでしょう。
嫌、この細則の意味を正しく把握している職員が現在のNHKにはいない可能性が高いですから、考えてもいなかった可能性の方が高いのかもしれません。

最後に

ここで示した通り、ワンセグは契約義務が無いことは明らかなのですが、この裁判に勝てるかは微妙です。

なぜなら、この裁判の争点が錯誤による契約無効で、支払った受信料を返せというものであり、契約要否を結論とした争いではないからです。

(1審,2審の資料は見せていただいていないので勘違いしていました。レオパレスとゴッチャに...
以下、レオパレス訴訟で契約義務の有無をハッキリとさせず、やっちまった契約は有効とされた話が主体です。)

契約義務が無いことがハッキリしたとしても、これをもって錯誤無効が成立するか否かは分かりません。

民法第95条 意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。
ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。

ここでもただし書きが重要なポイントとなるのですが、明らかな勘違いで契約してしまったとしても、この勘違いが契約者の重大な過失 に当たるのなら契約は有効なので上告人の負けとなります。

この場合、どんなに高裁の判決理由が間違っていても、結論として契約有効は変わらないとすれば上告は棄却されてしまい、 高裁の判決理由の間違いはうやむやにされてしまう可能性があります。


レオパレス上告がこの例ですね。(実はこれも私が少々...)

結局、誰が契約すべきかは結論を出さず、してしまった契約は有効だから、 高裁の判決理由が間違いだらけ でも、決定的な理由(誰でも構わないが争点となるテレビによる受信は契約が必要)は間違っていないから上告は受けないという判断をしたようです。 (棄却理由は不明なので予測です)

実際のところは、誰が契約すべきかの結論から逃げたとしか思えません。


平成29年末のNHK受信料制度の合憲性を争った裁判(これは無関係)のように、 結論が分かり切った「やらせ裁判」としか思えないものは受けるのですからね。

条件付き強制契約が仕組みとして違憲の可能性なんて全くありません。 これが違憲なら、自動車持っている人に強制保険に入るのを強制するのも違憲になってしまいます。

言い換えれば、自動車持っている人は自動車保険会社と契約しなければならないと同じ意味ですよね?。

それに本来なら、放送法64条のような契約の方法が合憲か否かではなく、その条件が憲法に定められた国民の自由や財産権の 侵害に対して必要最低限と言えるかが論じられなければならないところ、 「それも一つの方法」という程度しか踏み込んでいないのです。

昔は受信機の普及率が低かったため受信契約による受信料というのは合理的と言えましたが、現在のテレビ普及率からいって 受信料を税金で賄うことに何の問題もない時代になっている(放送番組の独立性が担保できないというのは嘘)こと、 スクランブルという技術が現実的になっていること、民放局が増えNHKに必要な役割が減っていること、 更には、現実として受信契約による不公平や裁判などの余計な(回避できる)争いが発生している ことから、現在の仕組みは不要なトラブルを増やすものであり、更なる合理化が可能であることは疑う余地がないため、この合理化不足部分 があまりに大きいことから必要最低限の侵害とは言えないのです。

たしかに訴えには不足があったと思いますが、このような重要な問題に対し、最高裁は訴えに対しもっと幅広い解釈を行い、 仕組みを直さず不利益を放置している(公共の福祉に反する)ことが違憲なのだから、放送法64条は違憲だと判断すべきもの... というのは無理な理想論なのでしょうか?

結局、争いの根本となる契約条件(設置)を明確にせず、放送法64条の合理性を追求しなかったNHK受信料制度の合憲性裁判に 何の意味があったのか理解に苦しみます。
最高裁は難しい判断からは逃げる傾向があるのか?それとも、やはりNHKに不利になる判断は避けるのか?


今回はレオパレス上告とは違い決定的な理由が間違っており、争点となるテレビによる受信は契約対象外なのですから、 仮に結論として契約有効だったとしても、最高裁はこの点だけはハッキリさせる必要がある(差し戻しも含めて)ものと信じております。


今度こそ逃げないでください→最高裁


やっぱり逃げた?最高裁


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